花子海外絵日記

〜海外暮らしって大変?〜

子供が生まれた日のモラオ

子供が生まれたその日

私はそこはかとなく幸せだった

やっと生まれてきてくれたー!

これから一緒に成長していこうね!!

とやる気に満ち満ちていたその時、

出産後すぐのこと、いやほんとに、産んで数分後。

モラオは何を思ったか

自分が泊まったホテルの愚痴を言いだしたのだ

なんだこいつ、こんな時まで誰かの不平不満を言わなきゃ気が済まないのか


私はすぐに不機嫌になり、早く出て行けオーラを出した。


不安なことこの上なかった。せめて子供が生まれた嬉しい瞬間くらい嬉しい話は出てこないのか、将来この子をどんな風に育てたいーとかさ


それから、私が入院している最中

これが最後の子なし生活だと

モラオは友達と飲みまくったらしい


私が帰宅する日、

モラオは風邪を引いていた。


おいフザケンナ。。


モラオは風邪をうつしたらいけないと思ったのか、私と子供にあまり近づかないようにしていた

 

いやいや、私の世話してくれよー


ただの風邪よりもすんごい大変な大仕事こなしたんだよ、いやマジ、世話してくれ。

だが世話をされることは一切なく
がっかりなことこの上なかった。

 

それはまぁモラハラではなく風邪をうつさないようにと
ただの気遣いだったんだけど
そもそも体調万全にしてかかれや!!!私が大変な思いしとるときに!!

 

その後2年間ほど、モラオは赤子を世話することはなく、外に連れ出して私を一人にしてくれる時間は一度もなく、あ、5分くらいはあったかな?

 

もちろん生活費を払うこともなかったので
(私がずっと生活費を払っていました。家は持ち家なので家賃とかはなく、水はダムがあるのでそこから汲みあげるので水道代もありません。払うのは食費と電気代。)

 

食費と電気代だけでも結構キツキツで、政府からの補助金も使い切り、貯金が底をついちゃう。。働かなくちゃお金無理だな

 

さらに、それまでは朝早くから働いていたからそこまで気づかなかったのだけど

モラオは毎朝不機嫌であることに気がつき、早く働きに出たい、と思うようになった。

 

朝は顔を合わせるのがこのあたりからすでに苦痛だった。

 

なので私の決定で息子を託児所に入れて働くことにしました。

 

もちろんモラオは反対。

 

なぜって子供は母親が見るべきで、託児所に入れたら他人の子になる。

 

とかなんとか

ならねーよw

だったら世界中ほぼ全ての子供が他人の子だらけになっちゃうだろ、ばかなの。

 

つかじゃぁ生活費出せや。

 

とまぁそんな文句は横に置いといて、

託児所に息子を入れ、週3くらいから働き始めました。

 

ほどなくして、息子は風邪をもらうことが多くなりました。

月火水と託児所に入れ、木曜日に風邪の症状が出始め、金土日で回復、
そしてまた木曜に風邪の症状が出る

といったことが結構長い間続いた。

 

私は風邪をひかない丈夫な体をしているのですが

モラオはタバコは吸うし酒も飲む、貧弱な体をしている。
ので毎回息子から風邪をもらう日々が続いた。

 

夜中に泣きわめき起きて何かを欲しがる息子。

何が欲しいのか、息子自身もわかっていない様子で

私も困惑してあれかこれかと探りながらも一生懸命なだめていた。

とここできました。

モラオのブチギレ

ベッドの中から起き上がることもせずに怒鳴り散らし始める

息子が欲しがってるものを上げろ、何してんだ、(←今それを一生懸命やってんだよw)

託児所は何をしてるんだ、なんでこんなに風邪を引くんだ
フザケンナf***kf***k

 

それは毎週、息子が気分が悪くて夜中に起きるたびに怒鳴り散らしは始まった。

 

腕の中にはワーワー泣きわめく息子、

助けてくれるはずのパートーナーはワーワー怒鳴り散らしブチギレ

 

気が狂いそうになった。

 

ほんとにもうこんなやつ殺してやろうかと思ったくらい。


このあたりからもう、モラオに愛情を感じることはなくなっていった。

大好きだったモラオの腕の中も、今や不安しか覚えない嫌な空間になっていった。

 

 

続く

 

 

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